複雑だけど大好きなインターフェイス

ビデオデッキの普及期を振り返ってよく言われることだけれど、機械が苦手なオジサマ方がなぜビデオを使えるようになったのか。それはアダルトビデオを見たいという強い欲求があったから、と言われているよね。

人間は強い欲求があればシステムやインターフェイスが複雑でも頑張って学習する。

そしていつか使いこなせるようになる。

http://d.hatena.ne.jp/core/20080605/1212667437


これが顕著なのはテレビゲームじゃないかと思っている。
プレイヤーキャラクターをインターフェイスと捉えると、あんなに複雑な操作を要求されるモノはない!


姫を助けるのにジャンプして亀を踏んだりしなきゃいけないなんて、面倒くさすぎる!
ショートカットキー1発でエンディングに飛べたほうが絶対にいいよねー!


よくない。


テレビゲームは、エンディングを迎えるよりも、プレイした内容が大事なのであって、
この僕が今書いているブログ書き画面とかも、文章が投稿されていれば「なんでもいい」わけじゃなくて、その文章を書いている時が大事。


引用元のオジサンたちも、エロビデオを見るために、ビデオデッキをガチャガチャいじくりまわしている時、
「あれー?あれー?」とか言いながらも、ちょっと楽しかったんじゃないだろうか、なんて思うんだ。


だからゲームの持つ、「複雑さを乗り越えた瞬間の気持ちよさ」みたいなものを
ゲーム以外のインターフェイスにも組み込めないものかなーなんてね。
思ったりしているよ。


まあ、本当に複雑なだけの、悪いインターフェイスは、乗り越えた瞬間に怒りが芽生えるんだけどね。
人はそれをクソゲーという。