下手だと何故良くないのかのコーナー

「平成19年度第31回 東京五美術大学連合卒業・修了制作展」というのに行ってきましたよ。新国立美術館は会社のすぐ近くなので、たまにふらっと寄っては無料の展示をひやかして帰るのだ。
そのふらっとついでに見てきた。

私は美大を出ていないので、ドキドキしながら見に行ったんだけど・・・えーと・・・みんな下手だなー・・・表現としてブレている。逆にブレのないものはどこかで見たことのあるようなものだ。学生ならしかたないと思えるが、卒業時にこれではちょっとヤバイ。

もちろん「あー!いい!」って思うような良い作品もいくつかあったけど、全体的には下手だな・・・って思いながら歩いた。


はい、ここで!下手だと何故良くないのかのコーナー!

例えばわかり易そうな例をあげると、文字をレタリングする時に、その文字の面に色むらがあると「それは、そういう意図がある」と解釈されてしまう。
それが、たんにうまく塗れなかっただけだとしても、見る人はそう感じてしまう。

ざっくり言うと、下手なのが良くないっていうのはこういう事だ。

その文字のデザインが表現したい事はわかるけど、色塗りが下手なために、そこにも意味があるように見てしまう。これでは表現としてブレてしまい結果的に伝わりにくい。作品として弱いものになってしまう。だから表現者としては、意図がないものを作品に埋め込んではならない。下手ではいけないのだ。

それはデッサンが狂っているとか、色むらがあるとかっていう事に限った事ではなくて、ありとあらゆる面で。
絵のサイズ、会場での光の当たり方、置く場所でもすごく違う。(ひとつ、すごく明るいところにプロジェクターが置いてあって、全然見えなくてびっくりした。たぶん意図的でない。)

逆に、その表現の向いている方向に合っていないものを取り除くことが出来れば、デッサンが狂っていようが、配色が良くなかろうが、別に良いのだ。これは最近ライフハック周辺で言われているNotToDoリストと似ている。ただNotToDoリストが膨大な量あって、結果「これしかない」になるんだけど。


「へたうま」というものが素晴らしいのは、あれが意図されたものだからで、意図されて下手な絵なんだから表現としてブレてない。だから絵の下手な人で表現者になりたい人は「へたうま」がうまくなればいいと思う。しかたなく下手なんじゃなくて、意図的に下手なんだと胸を張って。
決定版ヘタうま大全集 (キンテリの王様ブックシリーズ)


ギャグマンガなんか、逆に絵がうますぎるとブレるという珍しい例だ。
例えば〜、ギャグマンガ日和デスノート小畑健が描いたりすると、「こんなに絵がうまいのにアホ過ぎる!」っていう事自体が面白すぎるネタとして立ち上がってしまうため、肝心のストーリーのネタが弱くなってしまうだろう。結果きっとあまり笑えない。(そこのとりまわしが絶妙なのが「鋼の錬金術師」。荒川弘天才すぎ。)
増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和 1 (ジャンプコミックス)DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)鋼の錬金術師(1) (ガンガンコミックス)


プログラマが利便性を追求して作ったものとか、配色とか全部デフォルトだったりして、配色の調和とかレイアウトの美しさとかがないものが多い。
多いけど、それが「プログラマが利便性を追求して作ったんだな」という感じが出ていて、なんの問題もない。逆にlivedoor ReaderがWindowsVistaみたいだったら信用できないでしょう。http://reader.livedoor.com/


と、
そんな卒展を見て美大生といっても別にすごいわけじゃないんだなと、安心してしまった。