しあわせのかたち

私はたまに「ビジネス書」だとか「成功本」だとか「ライフハック本」とかに手を出してみて、取り入れられるものは取り入れてみたりもするのだけれど、その手の本が目指している「成功」の形がしっくりこない。
(年収10倍アップ本を買って、年収10倍アップじゃないんだよな〜とか思っている瞬間があるのだから我ながら勝手なんだけど)

私はエンターテイメントの世界に身を置いているのだけれど、果たしてエンターテイメントに関わっている人間の幸せと、この手の本の読者と、目指しているものは同じなのか?と、ずっと腑に落ちなかった。

たまに、こんな話になる。

「例えば映像なんか作っているときに、とにかくこの作業をやり続けたい。イイものを作る為なら家に帰らない事も全然苦にならないし、それで、なんで帰ってきてくれないの?と恋人に言われたとしてもその瞬間は邪魔だとしか思えない。仕事で使うものを買ったとしても清算する作業がまどろっこしくて、というよりも脳を別の事につかっている時間が勿体なさ過ぎて、結局清算はせずに自腹を切ってしまう。そしてその事に対してみじんも後悔がない。」

・・・これ仕事だよね?お金貰うために自分の時間を使って行っている作業のはずだよね?と我ながら思う。
そしてそんな人が周りにゴロゴロいる。私も全く同意する。

コレなんだ?と。お金にもならないし、恋人とも変な感じになるし、時間もどんどん無くなっていく。
真剣になれば真剣になるほど、いろんなビジネス書が書き出す目指す方向と真逆に全力疾走している。


で、この記事を読んでわかった。
None of your happiness!(404 blog not found)
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50997958.html

66億人いれば66億とおり以上の「幸せ」があります。
ところが、不幸の形は驚くほど似ています。

「幸せ」。この場合は作品の出来とも例えられそうだ。
私は、「がんばったから」「時間とお金をかけたから」いいものが出来るとは思っていない。「すごく気合を入れて作っても出来てみたら、意外と普通だった。」という事は良くある。ただ、どうしようもなく嫌なのだ。しょぼいものを世に出す事が。
満足とまではいかない。最低限妥協できないラインを越えられないで世に出す事が嫌なのだ。
そしてエンターテイメントのトップの人達の姿が見えていて、その人達も私達がヒーヒー言っている間に同じくヒーヒー言っている事も知っている。ものすごいCG処理の映像の裏に何千枚というマスクを切る作業があるなんて普通の事だ。
そんな中で一瞬でも手を抜こうものなら瞬時に差をつけられる。つけられた。そしてその作品は今も後悔として私の中にある。


「幸せ」のかたちに対する「不幸」だけではなくて、
世の中に「NG」とされるものはたくさんあって、それは具体的である事が多いんじゃないか、と。


例えば、宮本茂松本人志も似たような事を言っている。
面白いゲームやコントを作るのにどうやって作っているのか?という質問に対して
「だいたいの方向だけ決めて、あとはその場で決めているからなんとも言えない。」
宮本茂は「ほぼ日」のインタビュー内だったかな?松本人志はラジオ番組「放送室」内だった気がする。


同時に松本人志は「放送室」の中で
「現場に行ったら、なんでこんな事になってんねん!あっりえへん!て事よくあるよな?」とよく言っている。
「その場で決める」と言っているのに「考えられないほどダメ」なものがある。

たぶんなのだけれど、これは「絶対にやったらダメ」な事が明確に見えていて、
面白そうな事でダメじゃない事があれば「いつでもそっちの道に入る準備が出来ている」んじゃないだろうか。
だから面白そうな方にどんどん行ける。まったくリミッター無く、安心してそっちに行ける。
というかむしろそういう事があるからこそ、細かく決めないんじゃないだろうか。


うーん、これを書きながら、色んな事がどんどん思い当たるようになってきたぞ。
ひょっとしたらモノを作る事への極意だったかもしれない。
こんな所で気軽に書くようなものじゃなかったかもしれない。